鐘が鳴っている。
教会で誰かの葬式があるらしい。
黒い衣装に身を包んだ人々が、教会へと入っていっている。中には涙を流している人々も少なからずいた。
きっと、葬送されるのは、愛されていたヒト。
きっと、皆、そのヒトを愛していた。
弔いの鐘が鳴り響いている。
弔鐘のクセに、ココロも何も感じられない音だ、とMr.5は思った。
金属的で、無機質、死者への弔いの響きなど、まるで感じられない鐘の音だった。
「暗いわねぇ、ココ」
隣でミス・バレンタインが呟いた。
暗い、というのは勿論陽光が当たってないとかそういうことではなく、雰囲気のことだ。
「葬式だからだろ」
「フーン。オソウシキ、ねぇ」
ミス・バレンタインは、横目でちろっと教会を見た。
後から後から、黒い人々が教会へやってくる。慟哭している女性までいた。
「何がそんなに悲しいのかしらね?キャハハハハッ」
酷く楽しそうな彼女の笑い声は、鐘の音と一緒にあたりに響き渡った。
もともと静かだった場が、風の音すら聞こえる程に静まり返った。
鐘の音だけが寂しく響いている。
教会へ入ろうとしていた人々は足を止め、皆こちらを見ている。
咎めるような目つきで見る者も、嫌悪感を露に見る者もいる。何て不謹慎な、という囁きが聞こえてきた。
しかしミス・バレンタインはそんな彼らの反応をまるで気にも留めず、相変わらず笑っている。
「キャハハハ、くだらなーい」
全くだ、とMr.5は首を傾げてみせた。
「いきましょうMr.5。私こういう陰気臭いトコロ大嫌い。キャハハ」
二人は鐘の音を耳に残しながら教会から離れた。
彼らはまだこちらを見ているのだろう。
鬱陶しい視線を背に感じながら、Mr.5は、相変わらず煩いだけの弔鐘だ、と思った。
任務の帰りにあんな沈んだ場面に出くわすというのも滅多にあることでは無かった。だからと言ってそれが
ラッキーだという訳ではまるで無かったが。
むしろ二人にとってはあまりに馬鹿馬鹿しい光景で、かえって不快感を被った。
しかしその気持ちをいつまでも引き摺っているような二人ではない。
教会を離れて二、三分もしないうちに、先程のことなど忘れてしまった。
それ程に下らない光景だった。
「ねえMr.5」
Mr.5の背からミス・バレンタインの声が聞こえてきた。
「もうちょっとゆっくり行きましょうよ。別にもう任務もないし」
「任務がないからさっさと帰ってるんだろ」
「たまにはいいじゃない。私新しい服が欲しいの」
たまにじゃなくていつも任務の帰りにはお前の我侭に付き合ってやっている、とMr.5が言う前に、ミス・バレンタインは
彼を引っ張って街中へと入っていった。
彼女を強く突き放す事など出来ない彼は、結局いつも苦手なショッピングに付き合わされるハメになる。
気に入った服が見つからなかったらしく、ミス・バレンタインは服を見るだけ見て満足した様だった。
意味も無い事に長時間付き合わされただけに終わったMr.5は、怒る気力も無く疲れていた。
ただでさえ人込みは嫌いだというのに、そんな中を何時間も引っ張りまわされた彼は、精神的に疲れていた。
任務の時でもこんなに疲れたことは無い。
だから女の買い物は嫌いなんだ…Mr.5は心底思った。
「付き合ってくれてありがとうMr.5。疲れた?じゃあその辺で休みましょう、静かな所が良いわよね」
本当はさっさと帰りたかったのだが、反論する気力も無く、ミス・バレンタインに従った。
場末にあったその広場は、当初は何かを建てる予定だったらしく――何を建てるつもりだったかは判らないが――よく
判らないオブジェが、創りかけのまま数個放置されていた。これからこのオブジェが完成する様な雰囲気はまるで無く、
何処か見捨てられたような感じのする広場だった。
そして、都合のいいことに、この全く人が訪れていないであろう未完成の広場に、最早存在意義を失ったベンチが一つ、
ぽつんとあった。
古びてはいたが、休むにあたっては不都合の無いベンチだった。
「休むのにぴったりな所ね。Mr.5、思う存分休んで頂戴」
とにかく疲れていたMr.5は、パートナーに促されるままベンチに腰掛けた。
それだけでも、いくらか気分が安らいだ。
隣にミス・バレンタインも腰掛ける。
「やだ、汚いわねこのイス」
「そうか?」
「そうよ。あーもー服汚れちゃった」
「何か敷くモンとかねェのか」
「ないわよ」
「じゃあ立ってるか?」
「我慢するわ」
少し不満そうだったが、ミス・バレンタインは再びMr.5の隣に腰掛けた。
そうしてから、いつもの様にMr.5に寄りかかる。それでやっと満足したらしく、彼女は笑った。
「キャハハハ、やっと落ち着いたわ」
そうか、と言う代わりに彼は彼女の頭を撫でた。ミス・バレンタインは彼にそうしてもらうのが好きだった。
「どう?Mr.5。疲れはとれた?」
「まあな」
「そう。良かった」
この広場は本当に静かだった。騒がしい街からも離れ、何の雑音も聞こえてこない。
優しい風に吹かれながら、ミス・バレンタインとここでこうしているのも悪くなかった。
「ワケわかんないわねココ」
「どうでもいいがな」
「キャハハそうね。
そういえば、社長に報告書書かなきゃならないこと、覚えてた?」
「……いや」
「キャハハハハハッ。私もよ。どうする?任務完了予定時刻、もうとっくに過ぎちゃってると思うけど」
「…帰ってからでいいさ」
「キャハハハ賛成よ。もう少しこうしてたいもの」
「服の汚れはもういいのか」
「…思い出させないで。忘れてたのに。……我慢するけどね、もう」
「そうか」
「久しぶりだもの、こういうの」
「まあな」
とりあえず二人とも社長への報告は一旦忘れることにした。
静かで、何の邪魔も入らない場所。今はここで二人一緒に、こうしていたかった。
いつもよりも、時が過ぎるのがゆっくり感じられる。
たまにはこういうのも良いかもしれないとMr.5は思った。
「Mr.5」
ミス・バレンタインが口を開いた。
先程までの、何と言う事の無い会話の続きをする様な口調で、
いつもと同じ笑みを浮かべて。
「あのね」
「私達は存在してちゃいけないんだって」
風が吹いた。
相変わらず、全てを包み込むかの様に優しい風が。
「…何だいきなり」
「そうね。でも今言いたくなったから」
キャハ、と笑ってミス・バレンタインはMr.5の顔を覗き込んだ。
「“私達”は、存在してちゃいけないの。
どうしてだか判る?」
あまりに無邪気な笑顔で、彼女は訊いてきた。
どうしてだか判る?
判るさ、お前の言いたい事は。
ミス・バレンタインは、天気の話でもしているかの様な口調で続けた。
「ヒトを殺してるからなんですって。ヒトを傷つけてるからなんですって。みんなに愛されてるヒトを、
酷い目にあわせるからなんですって」
Mr.5は応えず、ミス・バレンタインを見つめた。
「だからね、“私達”は存在してちゃいけないの。
“私達”は、望まれずに生まれてきたの。
そして望まれて死ぬの」
キャハハハハッ。
ミス・バレンタインは、本当に楽しそうに笑った。
「判るでしょ?Mr.5。
だから、“私達”に鐘の音は聞こえないの」
「…ああ」
「それにね、罪のあるヒトなら死んでもいいのよ。
シンプサマとかね、みんな言ってるもの」
「ああ」
「“私達”にはみんな罪がある」
ミス・バレンタインはにっこり笑った。
「だから、“私達”は存在してちゃいけないんだって。
ね?」
そう言ってからミス・バレンタインは、Mr.5に体を預けた。
「でもいいの。
私、愛される為に生きてるワケじゃないもの。
自分のやりたいことをやってるだけ」
きっと、“私達”は、みんなそう。
ミス・バレンタインはそう付け足した。
「それに私はMr.5がいれば、それでいいもの」
彼女は小さな声で、けれどはっきりと呟いた。
幸せな花も、
青い天国も、
輝く昼も、
聖なる夜も、
空に輝く掛け橋も、
何も要らない。
世界なんて、たったひとつ、
たったひとつだけあればいい。
「きっと、“ここ”では私はいないけど、
“世界”に私は存在してるの。
だから私はここにいるでしょう?」
あまりに幸せそうに彼女は笑った。
痛々しいほど幸せそうに。
この世界には――
幸せな花も、
青い天国も、
輝く昼も、
聖なる夜も、
空に輝く掛け橋も、
何も無い。
けれど、この世界には全てがある。
何も無いけれど、
この世界は全てになれる。
小さいけれど、何て大きな世界。
おれもそうだ。
言葉になったかは判らない。
けれど彼女には伝わったのだろう。
無邪気に笑いかけてきた。
二人は確かに世界にいた。
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