人込みの中に二人の男女が立っていた。女…リリーは腕組みをして建物の壁によりかかっていた。男は壁に右手をつき、リリーに一方的に話しかけていた。 「愛してるよ、リリー。君みたいな女性に会ったのは初めてだ。愛してる」 男は甘ったるい笑みを浮かべた。 愛してる。さっきから何回言ってるんだろ、コイツ。リリーはサングラスの奥から、軽蔑したような目で男をにらみつけてやった。 いい加減うんざりだ。 「ていうか」リリーは鬱陶しそうに髪をかきあげた。「愛って何?」 男は目を見開いた。相変わらず顔はへらへらした笑いを浮かべている。 「手で触れる?目に見える?形ある?――全部”NO”でしょ?」 男はまごついたようだった。 「ダッサイ」リリーは言った。「アンタいまどき愛なんか信じてんの?」 不意に、リリーは視線を男から外し、人込みの方へと向けた。男の視線もそれにつられる。長身の金髪の男が女と肩を組んで酒場から出てきたところを認めた。 長身の男は女と何事か楽しげに話していたが、リリーに気付くと笑って声をあげた。「よお、リリー!」 「ハイ、サーキース」 長身の男は女の肩にまわしていた腕をこともなげに離すと、片目をつぶってささやいた。 「…ってわけでお別れだ。楽しかったぜ、またな」 女は、え?と言い、まだ状況が飲みこめていない様子だったが、男のほうは既に背を向け歩き始めていた。 リリーも壁から背を離し、このキザでバカな男に手を振った。「バーイ」 男は一瞬、狐につままれたような顔をしたが、リリーが歩き出したと同時に「ちょっと待てよ!」と、乱暴にリリーの腕をつかんだ。 リリーはその手を振り払うと、左足を軸にして体を回転させ右足を男の顔にお見舞いしてやった。 「くたばっとけ」長身の男が言った。「オンナは優しく扱うモンだ」 長身の男はリリーと一緒に人込みの中へと消え、あとには呆然とした女と鼻血を流し地面に倒れた男が残された。 サーキースは歩きながらリリーの肩に自分の腕を回し、彼女を引き寄せた。 サーキースがぼやいた。「ダセェ女だったぜ…」 「グーゼンね。あたしがデートしてあげたさっきの男も、とびきりダサイやつだったわ」リリーが答えた。「おまけに激ウザ」 「へェ?」サーキースは小さく笑った。「そりゃ災難だ」 「災難どころじゃないわよ、まったく。せっかくこの島来たんだから色んなトコ見てまわろうって――ああ、それと服も買うつもりだったわ――なのに、あのバカ男! なんかあたしに声かけてきて?まあカネ持ってそうだったから色々買わせてやろっかなって思ったの、だけどアイツだらだらだらだら口説き文句たれてるだけで、ホンットつまんなかったわ!あーもーウザ! しかもその口説き文句がまたサイコーにダサイのよ、笑っちゃーう。一言目には愛してる、二言目には愛してる、アハハ、バッカじゃない?バーカ!! アイツと1時間デートするんだったらネコと1日中デートしたほうが――あたしイヌよりネコが好きなの――よっぽどマシってモンだったわ!!」 サーキースは顔をしかめた。「おれも蹴りのひとつぐらい入れときゃよかったかな」 「ひとつどころか10発ぐらい蹴ってやってもよかったわ」 サーキースは、道の両脇いっぱいに建ち並んでいる店々を眺めた。「つまんねェ店ばっか…」 彼らの船は、今日の昼にこの島へついた。食料調達の為なのであって航海予定にない上陸だったから、食料を買ってすぐにおさらばのはずだった。 しかし船員の多くがここで遊びたいと文句を言ったため、航海士のエディは、ログがたまらないうちに、2時間以内、という条件でしぶしぶ上陸を許可した。 もう少しで約束の2時間になる。いつもは時間いっぱいまで遊んでいるようなサーキースとリリーだったが、リリーが酷く腹を立てているので、もう船に帰ることにした。 「ねえ、サーキース」リリーが聞いた。「愛ってなに?」 「船に戻ったらエディあたりに辞書かしてもらえよ」サーキースは答えた。「それで『あい』って引いてみろ。辞書はお前の疑問を解決してくれる」 「あたしは真面目に聞いてんの」 「唐突だな。なんだってそんなこと聞くんだよ?」 「さっきのバカ男のせいー。おんなじ言葉何回も聞いてたからなんか意味わかんなくなっちゃって」 「残念だが」サーキースは肩をすくめた。「おれは答えなんざ持っちゃいねェぜ?おれにできることといえば、辞書を引いて『愛』って言葉の意味をお前に読んで聞かせれるぐらいだ。面倒だから辞書なんか読みたくねェが」 リリーが笑った。「あたしもそれはお断り」 「だいたい『愛してる』とか言ったってさー、『愛』なんて目に見えないし触れないしー?そんなカタチのないモンもらったって嬉しくもなんともないわ。やっぱ服とか宝石とか…ゲンブツで『愛してる』ってこと証明してくんなきゃね」 「…リリー。もしかしてお前が好きなのって、おれじゃなくておれのカネ?」 「アハハハハ!」リリーは立ち止まり、サーキースの顔を引き寄せキスをした。「全部よ。顔も声も性格も、モチロンお金もネ。サーキースのことは全部好き」 船に戻ると、デッキにミュレとマニとリヴァーズがいた。リヴァーズが二人に気付き、手すりから身を乗り出して「よお、お早いお帰りで」と言った。 「ん?もしかしてまだ他のヤツら帰ってねェか?」 「バーカ」リヴァーズが答えた。「お前らがビリだ。みんなもう帰ってきてンぜ」 いつもなら新しい島にいく度に沢山の買い物をするリリーが手ぶらのうえ、機嫌が悪いのを見て、ミュレがじろっとサーキースをにらんだ。 「サーキース…アンタまたリリーちゃんとケンカしたんじゃないでしょうね?」 「してねェよ…今日は」 船内最年少で、年の離れたリリーを、ミュレとマニは妹のように可愛がっている。普段は強気なリリーも、この二人にだけは甘えた顔を見せた。 リリーは、街で自分に声をかけてきた男が、いかにバカでつまらない男だったかをぷりぷり怒りながら話してみせた。 話を聞き終えて、マニが言った。「リリーちゃんにそんな思いさせた時点で、もう最悪な男」 「オイ、マニさんに言われてンぜ、サーキース?お前は最悪だとよ」 「ハッ、お前に言われたくねェな」 「あァ?おれがいつマニさんにそんな思いさせたよ?」 「ちょっと…そこのふたり」ミュレがあきれた様に言った。 不満を全部出して、リリーはすっきりしたようだった。口調からも棘が消え、「サーキースにも聞いたけど、『愛』ってなんだと思う?」と尋ねた。 ミュレは少し考えこみ、言った。「感情を言葉で正確に説明することは無理だけど…何かを好きで、大切にしたくて、守りたい、ずっと一緒にいたい、みたいなものじゃないかしら?」 「さすがミュレだわ」リリーはサーキースのほうを見た。「誰かさんの説明とは大違い」 マニがくすくす笑った。 ミュレは有難う、と、微笑んで、リリーの頬にキスをした。 「私はリリーちゃんのこと『愛してる』わ、だけど、言葉なんて不確かなものだものね。これが証拠」ミュレは続けた。「もちろん、みんなのことも愛してる」 マニはリリーの頭を優しくなで、リリーはぺロっと小さな舌を出し、照れたような表情をした。 それを見てリヴァーズが言った。 「マニさーん、おれにはー?おれには何もしてくんないの?」 「ハハッ、頭なでてやろうか?リヴァーズ」サーキースが左手をひらひら振った。 「お前にンなことされても嬉しくもなんともねェよ、バカ」 「おれだって男にそんなことしたくねェよ、バカ」 みんなが笑った。 不意に、思い出したようにサーキースが尋ねた。「なあ、ミュレ」 「おれは他のヤツがくたばろうとどうなろうと、知ったこっちゃねェ。だけど」サーキースは言った。「この船にいるヤツらを傷つけたりしようとするくそったれは許せない。これも、『愛してる』ってことなのか?」 「ええ」ミュレは嬉しそうに笑った。「きっと、そう」 サーキースは、そうか、と答えた。これが『愛してる』ってことなら、そんなに悪いもんじゃない。なかなか心地よい感情だ。 「だけど、愛なんて、夢と似たようなモンだよな」サーキースは嘲笑した。 「夢で腹がふくれるか?愛でこの世界を生きていけるか?答えはノーだ!どんなに綺麗ごと言ったって、何をするにもカネがいる。愛だとか夢だとかを信じてるヤツは、とんだ間抜けだ」 そこで言葉を区切り、サーキースはみんなを見まわした。誰もが、頷いた。「結局、最後はカネが物を言うんだよ」 別に、ずっと信じていた夢を打ち砕かれるとか、絶望的な何かが過去にあったわけではない。ただ、何となく判ってしまったのだ。 幻想は所詮、幻想に過ぎないのだと。 子どもの頃からそうだった。現実にある宝などには目もくれず、夢を追いつづけているバカな大人を見ては、ベラミーと二人で笑い合った。オトナのクセに。おれ達よりずっと生きてて、頭も良いはずのオトナのクセに、と。 そうやって育つにつれ、この世界で生きるためには、まず何よりもカネがいるということも判ったのだった。カネは何でも買える。服も、食べ物も、武器も、人の心も、命だって買うことができる。結局最後は、カネなのだ。 幾日かして、彼らは”ジャヤ”という島についた。サーキースが、その島にあるホテルを、大金を投じて貸しきりにした。 リリーは勿体無いと言って怒り、ベラミーはのんびりできると笑い、船の財政管理もしているエディは、たまにはこういうのもいいかもなと、半ば投げやりに言った。サーキースの金癖の悪さは今に始まったことではない。 ここでもサーキースは、カネの力を実感した。ホテルの支配人は、ここを貸し切りにしたいという旨を伝えると、「それはちょっと…」と渋ったものだったが、札束をカウンターに放り出した途端、手のひらを返したように承諾した。 たくさんお金を払ったのに、従業員の態度が悪い、とリリーは度々文句を言った。 次の日、サーキースとリリーがホテルに帰ってくると、なにやら騒がしかった。従業員にどうしたと尋ねてみると、どうやら旅行客が迷い込んだらしい。迷い込んだのは3人の少年少女だった。 サーキースは少年のひとりに、出て行けと言ったが、出て行く気配がない。サーキースは3人をちらりと見た。貧相な格好だ…。サーキースは思った。 サーキースは左手をポケットに突っ込み、くしゃくしゃになったカネを地面に落とした。「これで好きな服でも買うといい」 さァ、どうする?サーキースは笑った。拾えよ、そのカネを。どうせお前らも今までの奴らと同じだろう?無様に地面をはいつくばって、媚びへつらえ。おれの気に入りゃ、もう1万ベリーぐらいくれてやるよ。 だが彼らはそうはせず、腹を立てた様子でさっさと背を向けてホテルを出ていった。 騒ぎながら出て行く彼らを見て、リリーは指を指して笑った。「アハハハ、ダッサイ、何あれ」 サーキースもバカにしたような笑いを笑った。地面に落ちたカネに目をやり、もう一度、既に遠ざかった彼らを見た。 そして、この世界はカネが全てだ、と小さく呟いた。 |