あなたはとっととくたばるべきです。 「…オイ。オイオイオイオイオイ、サーキース!お前どこ行くつもりだ!?」 何も言わずにホテルから出て行こうとしたサーキースの肩をリヴァーズがつかんだ。サーキースは立ち止まり、顔だけ振り返って暗い目でリヴァーズの顔を見た。 「……どこだっていいだろうが。ほっとけ…」 「ほっとけじゃねェよテメェ、バカ言ってんじゃねェぞ。副船長がいなくなってどうするっつーんだよ!」 「副船長だ…?…それがどうした、んなモン名前だけなんだよ、意味ねェんだよ!……おれは何もできなかった!何も!ハッ、ご立派な副船長だ!」 リヴァーズの手を振り払い、サーキースは歩き出した。待てよ、とリヴァーズは追う。サーキースの前に回り、コートのえりを乱暴につかんだ。 「同じだよ!お前だけじゃねェ、おれ達だって何もできなかった!おれだってビビって何もできなかった腰抜け野郎だ!おんなじなんだよ!なのに何だお前はよ…テメェひとりで傷ついたツラしてんじゃねェ!」 「…おれが何だって…」 「お前ひとりで今にも泣きそうなクソダセェツラしてんじゃねェっつったんだよ…!」 「んだと…」 うしろから追ってきたロスとヒューイットが二人の間にはいり、殴り合いになりそうだったサーキースとリヴァーズを引き離した。 サーキースはロスを軽く突き放し、門をくぐり、薄明るい闇の中へと消えて行った。一度も振り返らずに。 ヒューイットの手を振り解こうと暴れながら、リヴァーズはサーキースを追おうとした。 「リヴァーズ、そっとしといてやれ…!」 「チクショウはなせよヒューイット!アイツぶん殴ってやる!」 「…サーキースはどこにもいかない。気持ちが落ち着いたら戻ってくるだろう…」 肩で息をしながら、リヴァーズはヒューイットを振り解いた。サーキースが出て行った門のほうをにらみつける。町の明かりが見える。人々のざわめきが聞こえる。その中へ消えて行ったサーキースを、にらみつけた。見えもしない彼の後姿を見ているようにして。 「…チクショウ……チクショウチクショウチクショウチクショウ!!!」 目についたイスを蹴る。テーブルを蹴り飛ばす。落ちたテーブルクロスを踏みつけた。 「フザけてんじゃねェぞ、あの野郎!!!」 リヴァーズは吠えた。空気が震える。 「ムカついてンならおれを殴れよ!ムシャクシャしてんだったらおれらにヤツあたりでもなんでもすりゃいいだろうがよ!全部ひとりでしょいこんだ気になりやがって!…何の為のおれらだよ…!――テメェはひとりじゃねェだろうがバカヤロウが!」 テーブルを抱えあげ、思いきりたたきつける。破片が飛び散った。 ベラミーを抱えてここに帰ってきたときサーキースが「…出て行け」と静かに言ったので、ひとりの従業員もいない。いつも騒がしいホテルが、今日は静かだ。 たとえあなたがリスクを背負って夢を追い求めたとして、挫折するのが関の山です。 あなたが挫折したとたん、周りの者達は大笑いするのです。 「リヴァーズの気持ちもわかるが…サーキースとしてはおれ達に取り乱す姿を見せたくないんだろう。あいつはあいつなりに副船長としての自覚を持っている…」 「…不器用なんだよ、二人とも。」 ロスは階段を上ってホテルの中へ帰っていくリヴァーズを見ながら呟いた。足元には木片がちらばり、イスが転がっている。これでリヴァーズの気がすんだわけもないだろうが。 「……おれも人のこと言えないけど。」 鈍い音が響いた。ロスは柱を殴りつけ少し血が滲んだ自分の右手を眺めた。ぼんやりとしている。これは確かに自分の手なのに、何かのフィルター越しに見ているようだ。まるで夢の中。夢ならいいんだけど。でも痛いな。現実ってこんなに痛いものだったか?…違う、痛いのは”夢”だ、”現実”は甘美なもので、痛みなんて伴わないはずなんだ。 ――痛い?こんなものが本当に痛いんだろうか。ロスは左手で右の拳を触ってみた。生あたたかい。血が手のひらについた。 「……ヒューイット?」 入り口から続いている古びた木製の橋の上に立って、ヒューイットは海を見下ろしていた。水の中に、歪んだ月がうつっている。左下が欠けた、歪んだ月。 「……十日余の月。これが見られるということは、今は2時半ぐらいか…」 風が吹いた。潮の香に何か花の香のようなものが混じっている。どこかの島から運んできたのか。 「…新月から次の新月になるまで約29.5日。このサイクルはこれからも変わる事はないだろう…誰が死のうと生きようと…何がおころうと、関係なく当たり前の様にただめぐる」 波の音が静かに聞こえ、海に月の光があたり、ぼんやりと明るい。幻想的だ、普段なら。 今夜の月は、気味が悪い。薄く、ほの暗く、妙に明るい。 今夜の風は、気味が悪い。この島は暖かい気候のはずなのに、ぬるい寒い風が吹く。今夜は寒い。酷く寒い。 「おれ達がどんなに泣き叫ぼうと…何も変わらない…変えられない……もう、起こってしまった」 隣に来ていたロスに、綺麗なハンカチを手渡す。ロスは礼を言って受け取り、それで右手をしばった。そして、うつむき、ボウシのツバを深く下げた。 ヒューイットは顔をあげ、歪んでいない月を仰いだ。海に沈んだ月でない、空に浮かんだ月を。 「ちっぽけだな、おれ達は」 あなたはときおり、人生は思い通りにいかないものだ、と呟くはずです。 あなたはそうやって嘆き続けながら、死んでいくのです。 電気のついていない廊下に窓から月の光がさしこんでいる。 「マニ」 がらんとした静かな廊下でエディはホッとしたような声をあげた。 休憩所のような開けた部屋でイスに座り、軽く目を閉じていたマニは顔を上げ、弱々しく微笑んだ。 「あ、エディ…なぁに?」 「向こうの廊下でリリーがうずくまってるんだ。綺麗好きのリリーがあんな所に座り込んでるなんてな…相当ショックなんだろう。何か言葉をかけてやってくれないか、おれが何言っても聞いちゃくれないんだよ」 リリーの名を聞いてマニはすぐに立ちあがった。少し、ふらついた足取りで廊下に向かう。 その時、奥のほうの部屋で何かが壊れる音がした。割れる音。何か叫ぶ声。 エディは眉をひそめて首を振った。 「…リヴァーズだな。おれが行ってくるから、君はリリーを頼む」 反射的に、リヴァーズのいる部屋へと向かいかけたマニだったが、エディの言葉に足を止め、体の向きを変えた。 廊下へ出る前に、心配そうにエディに話しかけた。 「エディ…こういう時に冷静でいるのは一番ツライことだわ。我慢せずに、気持ちを出していいのよ?」 エディは一瞬体をこわばらせた。しかし、どうにか「あァ、有難う」と声を出して、歩いて行った。 そんなエディの背中をマニはなおも心配そうに見送っていたが、自分も歩き出した。 静かな廊下。自分の足音だけが響く。 少しして、うずくまっているリリーの姿をみとめ、マニは「リリーちゃん」と駆け寄った。 「……マニ…」 リリーが顔をあげた。サングラスはしていない。その為、キラキラと何色もの色をうつす、万華鏡のようなリリーの瞳と視線がぶつかった。何かにすがるような瞳。 「マニ、ベラミーが、そうだベラミーはどうしたの?怪我は?目ェ覚めた?大丈夫?」 「大丈夫よ、リリーちゃん。ミュレが看てるわ」 自分もしゃがみこみ、リリーの小さな体を優しく抱きしめた。手を回して、頭をなでる。 「ね、あのさマニ。あれってさ、サーキースが言ってた通り、まぐれよね?それか、アイツが何かズルしたのよ。そうよ、絶対そう!でしょ?ウソに決まってるわ。ベラミーが、ねえ?アハ、超信じらんなーい」 リリーは明るい声で言った。口元も無理矢理笑わせている。 マニはリリーの言う事を黙って聞いていた。返事のかわりに、小さく震えているリリーの背中をさすった。 「おんなじよね?」 不意に、リリーが言った。 「え…?」 「おんなじだよね?あたし達だって大切なモノ奪われちゃったもん。でも、アイツらと違って、あたし達は奪い返せない」 マニの手が止まる。リリーは顔を上げ、じっとマニの眼を見つめた。 「――夢ならいいのに」 そう言ってリリーは、マニの胸に顔を埋めた。マニにぎゅっとしがみついて。精一杯明るい声で、優しくマニは言う。 「夢よ、これは。もう少しで夜が明けて、目が覚めるの。そしたら私達は、ああ、なんてとんでもない夢を見てたんだろうって笑い合うのよ…」 目が覚めることなどありはしない。どこまでいっても、これは現実なのだ。 判っていつつ、言いつづける。出来の悪い戯曲よ終われ。全てが幻でありますように。 月の光が眩しい。マニは目を細めた。顔をあげて、窓の外を見る。月が見えた。欠けた月が、自分たちを見下し嘲笑っていた。 ひたすら残酷に。 ああ、あなたの人生はなんとひどい人生なのか。 「…バカかお前。何してるんだ」 割れた花瓶。まけた水。足の折れたイス。引き裂かれたカーテン。飛び散った窓ガラスの破片。 壊せるもの全てを壊したという感じの有様だった。部屋の真中にリヴァーズが寝転がっていた。右手で顔を覆って。 「……るせェ…」 「うるせェじゃねェよ、全く…」 呆れ果てた様子でエディはリヴァーズの隣に腰を下ろした。折り曲げた右足に手をのせ、左足を伸ばした格好。左手は床について。 ふたりとも、何も喋らなかった。少しの沈黙。 顔を覆っていた右手をのけ、ややあってリヴァーズが口を開いた。 「…サーキース…あの野郎、ひとりで勝手にどっか行きやがって、チクショウ…帰ってきたらブン殴ってやる…」 ぽつりぽつりと言いながら、ゆっくりと体を起こす。 「…で、お前こんな風に暴れたってわけか」 「………アイツのことだけじゃなくてベラミーのこともあるけどよ…とにかくムカついたんだよ」 溜め息をついてこちらを見てきたエディに、視線をそらし、ふてくされたように言うリヴァーズ。 「リヴァーズ、お前、いつもおれのことをボウヤボウヤってバカにするけどな」 エディは部屋を見まわした。 「――おれがボウヤなら、お前はガキだ」 「…ンだとコラ!?誰がガキだ!」 「お前だ」 「テメ…もっぺん言ってみやがれ!」 エディの胸倉をつかむ。 その手をエディは左手でキツくつかんだ。 「聞こえなかったか?あァ、なら何度でも言ってやるよ。お前はバカで、幼稚で、考えが無くて、暴れる事しかできない、ガキ以下のガキだよ!」 「エディ、テメェ…!!」 「本当の事を言われて悔しいか?」 「このヤロ…うわ!?」 つかみかかろうとしてきたリヴァーズの首を右手でおさえつけ、右膝で蹴り倒す。背中からたたきつけた。 首をおさえつけた馬乗りの状態のままで、エディはリヴァーズに言葉を投げつけた。滅多に見せない表情。怒気をはらんだ口調で。 「お前…ダチの気持ちも判らないほどバカじゃねェよな!?いいか、お前は今、心にぽっかり大きな穴があいたみたいな、ズタズタにされたみたいな、どうしようもなく悲しい気分のハズだ。おれもそうだ、多分みんなそうだ! でもな、考えてみろ!今一番こんな気分の中に放り出されてるのは誰なのか!判るだろ?判らないか!?お前がそこまでバカだっていうなら、今ここでおれがお前をブン殴ってやるぜ…!」 右手に力が込もる。 言い終えて、リヴァーズの首から手をはなした。 「――少し頭冷やせ」 いつもの冷静な口調になり、言う。そして、元のように床に腰を下ろした。 「……悪ィ」 しばらくの間、言葉を失ったかのように黙っていたリヴァーズが、ようやく起きあがり言った。 あぐらをかいて座りなおし、エディの背中にもたれかかる。 「おれ…頭に血ィのぼったらマジなんにも考えられなくてよ。頭はっきりした、サンキュなエディちゃん」 「ハッ…いつものお前らしくなったな。…つか重い。もたれかかってくるな」 「気にすんな」 「いや気になる」 「いいじゃねェかよこのくらい」 「…まァバカに何言っても無駄か」 「うっせ、バーカ」 「お前にバカと言われるほどバカじゃない」 取り出した煙草に火をつける。リヴァーズはそれを大きく吸って、一息ついた。 「…アイツ、サーキース。ガキの頃からベラミーと一緒で、ずっとベラミーの背中見てきたんだよな。…なのによ、ベラミーが……ベラミーが、ああ、なるところを一番近くで見ちまってよ…」 あーあ、と、頭を覆う。 「一番こういう風に暴れてェのってサーキースのほうなんだよなァ、おれじゃなくて」 「お前にしちゃ上出来だ、よく判ってるじゃないか。…さっきはおれも言いすぎた、謝るよ」 いいって悪いのおれだし、と、リヴァーズは笑った。エディは続けて言った。 「…こういう時ってさ、下手に慰めの言葉かけたって、薄っぺらなものにしかならない。それよりもお前みたいに、思いっきり相手に感情ぶつけたほうがよっぽど良いと思うぜ。――おれ、お前がうらやましいよ、リヴァーズ」 「ハァ?羨ましィ?…まったまたー冗談言うなよエディちゃーん」 「冗談でこんなこと言ってどうする、バカらしい。…こういう時、冷静でいるのは一番ツライことなんだとよ。マニに言われた」 自嘲の笑いを漏らす。 「おれはこのどうしようもない気持ちを、うまく処理することができない。本当は、大声で泣き叫びたい気分なのに、表面上は取り繕っちまう。心と体がバラバラなんだ。その点、お前は気持ちを少しでも処理できてる」 こういう風に、とエディは手で部屋中を示した。リヴァーズは、こんなのが?と、少し決まり悪そうに言った。そうさ、とエディ。 「…でもお前、この程度で気はすんじゃいないだろ?だからさ、―――泣けよ、気のすむまで。おれも一緒に泣いてやる」 ――――小刻みに震える手でタバコを口から取る。床におしつけて、火を消した。リヴァーズは、やっとノドから声を絞り出した。 「……へ…ッ、バーカ…誰が、泣く、か……ッよ…!!!」 低くかすれた震える声でそう言った。必死にこらえるようにそう言った。 言い終わらないうちに、涙があふれ出た。次から次から。体を折り曲げ両手で顔を覆い、その両手の指の間からも涙は零れ落ちる。嗚咽が漏れる。声を押し殺して、リヴァーズは泣いた。 ”夢”を壊された時って、こういう気持ちなんだろうか。 視界がぼやける。エディは眼鏡を外し、目を閉じて、静かに涙を流した。背中からリヴァーズの震えが伝わってくる。 ―――だったらアイツらも、こんな風な、心が引き裂かれるような、どうしようもない絶望感を味わえばいいんだ。 空島なんて、ありはしないんだから。 エディの頬を伝って落ちた涙が、消えた。 濡れる頬をぬぐおうともせずに、ふたりはただただ涙を流し続けた。まるでそうすることで救われる何かがあるように。 何かに祈るようにして。 あなたが何かに祈りを捧げても、誰も聞いていません。おかしな人と思われるだけです。 建物にはさまれた狭い道。壁にもたれてサーキースは座り込んでいた。コートが汚れるのも気にせずに。 町の光も届かない暗い場所。人々のざわめきがかすかに届いている。とても遠くから。それらは耳に入っていなかった。 サーキースはごつんと頭を壁にぶつけ、空を仰いだ。 屋根の間から月が見える。忌々しい。軽く舌打ちする。眩しすぎる光なんていらないし、欲しくもない。ただ、あの光だけが確かだった。不透明なものだったが、自分たちにはあの光が全てだったのに。 「………返せよ…返してくれよ…!」 雲が月を隠した。闇があたりを包み込む。 ―――ああイライラする。ムカついてるんだか何だか判らねェ気分だ。何でもいいからあたりちらしたい。クソッ…あのチビ…冗談じゃねェぞ、くそったれ。 信じねェ、信じねェ、信じねェ、信じねェ、信じねェ、信じねェ、信じねェ、信じねェ、おれは信じねェぞ!ベラミーは強い男だ。今まで闘ってきたどんなヤツにも負けなかった。それが、あんなチビに、…あんな麦わら野郎に負けるわけねェんだ! そうさ、まぐれに決まってる。ベラミーは油断してたんだ。でなけりゃベラミーが……ありえねェんだよ。ありえねェ、ありえるわけがねェ…――― 下唇を噛締める。そうしないと、胸の奥から怒りとも悲しみとも悔しさともつかぬ感情が溢れ出してきて、壊れてしまいそうだった。 サーキースは、コートのえりを指で軽く触れてみた。 ―――リヴァーズ、マジで怒ってやがったな――― ふっと笑ってしまう。 ―――ああ、ああ、判ったよ。帰ったらおとなしくお前に殴られてやるよ、この野郎。でもな、おれの気持ちもわかって欲しいぜ? あれ以上あそこにいたら本気で何するか判らなかった。副船長のおれが無様にわめきちらしてみろ。そんな姿、お前らに見せてどうするっていうんだよ? 上に立つ人間てヤツはどんな時でも冷静でいなきゃならねェんだ…ベラミーの受け売りだが。 まァ実際副船長なんてほとんど名前だけだしおれらの間じゃ上とか下とかって意識カケラもないけどな。そんなん抜きにしても何よりダセェ。こんな時でもカッコつけてたいんだよ。ああ全く。いやもうどうでもいいか――― 口の中でブツブツと繰り返し何かを呟いていたが、やめた。 それからサーキースは、仲間の顔を思い浮かべた。ひとりひとり。一緒に名前も口に出す。全員の名前を言い終わり、ふらりと立ちあがった。 ―――もう一度あそこに行こう。見てこよう。それでもう全部終わりだ、お別れだ。今夜の事は悪い夢だったと思って全部忘れるんだ。 現実から逃げて悪いかよ?あいにくおれ達はこういう生き方しかできないんでね。だが、おれ達ァバカじゃない。オトナみたいに”夢”に逃げるなんてまっぴらゴメンだ。おれは”現実”に逃げてやる。 そうさ、明日からまた今までと同じように、楽しくいこうぜ。ベラミーが言うのなら海賊やめたっていい。とにかく何でもいいんだ、楽しけりゃ――― サーキースは通りに出た。まだ心はざわついているが、幾分マシだ。 背後、上空にある月を振り返り、もう一度にらみつけ、唾を吐いた。 それから月に背を向け、不機嫌そうな足取りで歩き始めた。 ゆるりと空に立つ月の鈍い光が、嘲りの町を照らし出していた。 あなたは今自分自身を哀れんでいるでしょうが、あなたに自分を哀れむ資格などないのです。 許されないのです。 「あ…ベラミー!」 うっすらと目を開け、意識を取り戻したベラミーに、ミュレは安堵の声をあげた。 少し前から、ベッドのすぐ右横におかれたイスに腰掛け、ミュレはベラミーが目を覚ますのを待っていた。 目だけを動かしてあたりを見る。ここがどこだか判らない様子で、ベラミーは言った。 「……どこだ…?」 「え?…ああ、ココ、ホテルよベラミー、判る?」 しばらく考えこんで、それからベラミーは小さく、ああ、と頷いた。 「おれはあのガキと……あのガキに…そうだアイツは…」 「ベラミーあまり喋らないで。傷に響くわ」 つい先程のことが生々しく思い出される。体の痛みではない、確かな痛みを伴って。 ソレは、いつものように終わるはずだった。一瞬、何が起こったのか判らなかった。夢を見ているのかと思った。静まり返る人々。身動きも出来ず立ち尽くす自分たち。徐々に、それから一気に伝わる恐怖。蜘蛛の子を散らすように逃げていく人々。そしてまた静寂。 あの時自分は、ただその場に座り込む事しかできなかった。足場を奪われた。そんな感じだった。 何もできなかった弱い自分に腹がたち、この状況がまだ信じられなくて、信じたくなくて、じわりと涙が滲んできた。 だけど、本当に涙があふれてきたのは、ベラミーが左手を伸ばし大きな手で優しく自分の頬に触れ、低い声で小さく「ごめんな…」と呟いた時だった。 「…お前らのそういう顔、一番嫌いだってのに…そんな顔させちまったのは、このおれだ。最低な船長だよな、すまねェ…」 「ちょ…待って、ベラミー」 ベラミーの手に涙が伝う。 「ねェベラミー、なんで謝るの?お願いよベラミー、謝らないで。謝らなきゃいけないのはアタシ達よ、私、なんにもできなかった。アンタが謝る必要なんて、これっぽっちもないんだから…」 言葉が出てこない。ベラミーの左手に自分の左手の指を絡ませ、それを右手でしっかりと包み込む。 「そうだわ、ねえベラミー。明日の昼頃にはもうログが貯まるんですって、エディが言ってたわ。そしたらもうこの島出ましょう。そうね、次は夏島なんてどうかしら?綺麗な砂浜があって、海沿いにココみたいなホテルがあるトコロに行くの、バカンスって感じかしら? リリーちゃんはお肌が焼けちゃうって言いそうだけど、フフ、リヴァーズなんて大はしゃぎよ、きっと。楽しそうだわ、ねえ?ベラミー。みんな一緒よ。またみんなで楽しく生きていくのよ、今までみたいに……」 ベラミーはミュレの言葉ひとつひとつに、ああ、ああ、と頷いていた。 薄く目をつぶる。 「…疲れた。少し寝る。他の奴らに、心配すんなって言っといてくれ」 ええ、とミュレは答えた。 それに安心したのか、ベラミーは目を閉じやがて眠りについた。しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。 ミュレはベラミーを起こさない様に、そっと手を握りなおし、そうよ、と言った。 「みんないる。ずっといるんだから……」 あなたはひとりで死んでいくのです。 |