今日は見事な快晴だったのでカミーユはいつもの場所へ向かうことにした。 さいわい今日は日曜日だったので―安息日だから昼までには帰って教会へ行かねばならなかったが―特にいいつけられている仕事もない。 朝食を食べ終えると、いってきますの挨拶もそこそこに、カミーユは家を飛び出した。 村から出て、隣町への近道であるでこぼこした山道を走る。 昨日おとといと二日続きで大雨だったので、地面はひどくぬかるんでいた。左右にある木からも時折雫が落ちてきて、カミーユの頬をぬらした。 あのコ、来てるかな。 走りながらカミーユは不安になった。いくら晴れといっても、あちこちに水溜りができてるし、地面はぐちょぐちょだ。 ――大丈夫!きっと来てるよ だって、あのコは雨の日以外は必ずいた。今までだってそうだったんだから、これからもきっとそうだ。 坂だった山道がいくぶんたいらな道になってきたころ、カミーユはさらに足を速めた。もうすぐでいつもの場所だ。あそこに建てられている木の柵のうえに、あのコはいつも腰掛けている。 「あ…おはよう!」 息を切らせながらもカミーユは声をあげた。 やっぱり、あのコはちゃんといた。いつものように柵の上で、その細い足をぶらぶらさせながらカミーユを待ってくれていた。 そして、いつもの笑顔でカミーユを迎えてくれた。 「おはよう」 つられてカミーユも笑顔になる。この少女の笑顔がとても嬉しくて。 朝日に輝く金髪を片方だけ小さなピンで止め、白い肩を出したスカートをはいている。 大きな碧の眼が印象的なこの少女とカミーユが初めて出会ったのは、2週間ほど前のことだった。 その日、母親に隣町まで注文していた品を取りに行くように言われたカミーユは、正規の道は使わずにこの山道を上って行った。 その途中で、この少女と出会ったのだ。 こんな人も殆ど通らない山道で、ひとり柵の上に座っていた少女に驚いてカミーユは声をかけた。 「何してるの?」 すると、キャハっと笑って少女は答えた。 「別に?ここにいるだけよ」 そんな少女にカミーユは酷く惹かれた。カミーユの村でも隣町でも、こんな美しい少女は見た事がなかった。 おつかいのことも忘れてカミーユは少女と話をした。 つまらないと思いつつも、教会で聞かされた聖書の話をしたところ、少女はとても興味を持ったらしく目を輝かせてカミーユに言った。 「明日もここに来て、セイショのおはなしを聞かせてくれない?」 それからだ。 今まで退屈だった教会での勉強が楽しみになったのは。 「今日はノアの続きだったよね。この前どこまで話したっけ?」 「えっとね、ノアが神さまから船を作りなさいって言われたところよ」 「あ、そっか。えーとね、それでノアは船を作り始めたんだけど、まわりのひとたちからはバカにされるんだ」 身振り手振りを交えてカミーユは話した。 少女は、ウンウンと頷いたりして、静かに話しを聞いていた。 「ノアは自分の家族の他に、全ての動物のつがいを船に乗せるようにって言われてたんだ。清い獣は7カップル、清くない獣は1カップルずつってね」 今まで黙って聞いていた少女がそこで口を挟んだ。 「ねえ、どんな動物が清くて、どんな動物が清くないの?」 「え?えーっと…」 カミーユは必死で思い出しながら指を折った。 「まず、哺乳類ではラクダやウサギみたいに、反芻するけどひずめがわかれてないものと…ブタみたいに反芻しないけどひずめがわかれてないもの。 それと犬とか猫とかの足の裏のふくらみで歩くもの。 水中の生物では……えーーー…確か、ひれとウロコのないもの。甲殻類や軟体動物だね。 鳥類では、おもに肉食のトリ。あと、なんだっけなーー・・・」 焦りながらもカミーユは考えた。くじらだっけ?違うな、鰐?じゃない、そうだ虫だ! 「あと、爬虫類とすべての虫!いなご以外のね。これが清くない獣だよ」 「ふーん。どうして、その獣が清くないの?」 「え、それは…ぼくも知らない。なんかよく判ってないんだってさ」 カミーユは頭を掻いて答えた。ホントになんでこういう獣が清くないんだろ? その返事を聞いて少女はうつむいて何事か考えている風だった。 それから顔を上げて、また尋ねた。 「…ねぇ!ノアとその家族はどうして助けてもらえたの?」 「えーと、あのね、ノアは他の堕落しきった人間達と違って、神様を信じて…清く正しい心を持って生活してたから。だったと思うな」 それを聞いた途端、少女の顔が歪んだ。 いつも酷く楽しそうな顔が、酷く悲しそうな顔に変わった。 驚いたのはカミーユだ。 「どっ、どうしたの!?」 「…死んだのよね・・・」 少女がぽつりと呟いた。 「その正しくない人達は、死んじゃった…のよね…?」 「あ、う、うん…神様が大洪水を起こして、地上のもの全てを洗い流したから」 「ノアは平気だったの?」 「え?」 いつものやわらかな感じとは違う、厳しい口調。 「他のひとがみんなみんな死んじゃったのに、自分たちだけ助かったのに、それでもノアは平気だったの?何とも思わなかったの? いくら汚れてたからって…」 どこか思いつめた感じのする瞳で、カミーユを見つめた。そして震える声でこう言った。 「清くないものは、生きてちゃダメなの…?汚れているものは…存在しちゃ、いけないの……?」 次の日はまた雨だった。昨日の快晴がウソのようだ。 あのコ、どうしてるかな。 自分の部屋のなかでボーっとしながらカミーユは考えた。 結局昨日は、なんとなく気まずくなってすぐに帰ってきてしまった。 あのコ、必死に聞いてたんだから、ちゃんと答えてあげれば良かった。悲しそうだった。ぼくのせいだ。なんで答えなかったんだ。 ベッドのうえでごろんと寝返りをうつ。雨の音で階下にいる母さんたちの声が小さく聞こえる。 ぼくっていつもこうだ。 「……嫌なやつ………」 雨はそれから6日間降り続けた。 「こんにちは♪」 気乗りしない感じで訪れたカミーユを、意外にも少女は笑顔で迎えた。 あれから一週間会っていなかったのだから、もう忘れてしまっているのかもしれなかったが、それでもカミーユは少女にきちんと謝りたくて、重い足を引き摺ってここに来たのだった。 開口一番に謝ろうと思っていたにもかかわらず、少女の笑顔を見た途端、カミーユも「こんにちは」と返してしまった。 「ねぇ、こないだの続き、聞かせて?」 …結局、日暮れ近くまで、いつものように話しこんでしまった。 話が一段落したところで、意を決してカミーユは言った。 「この前はごめん!!」 「え?」 少女は眼をきょとんとさせた。カミーユの言葉が、いかにも意外、というように。 「あの…だからさ、キミがぼくに聞いてきたのに、ノアの話の事で、なのに、ぼくちゃんと答えなかったでしょ?」 しどろもどろに言うカミーユを前に、少女は「ああ!」と手をたたいて声をあげた。 「あのことね!ううん、いいわよあれは。私が全部悪かったの。ごめんね?」 「違うよ、ぼくが…ぼくがさ、何も言わずに帰っちゃってさ、それで、だから、ぼくが……」 ああ。 もう嫌だ。謝りたいのに。キミは何も悪くないって言いたいのに。 そんなこともちゃんと言えない。 「……ごめん。もうほんとにぼくって嫌なやつだ。ぼく、ぼくのことが嫌いだよ」 泣きそうな声でカミーユは言った。 少女の顔がみれずに、じっとうつむいている。 「…自分が、嫌い…?」 それを聞いた少女は、本当に、本当に、不思議そうな声をだした。 そのとき。 かーー…ん……かーーー…ん… 遠くで、鐘の鳴る音がした。 おもわずカミーユは「あ!」と大声をだした。 「いけない!ぼくもう帰らなきゃ!…えっと、キミになにか聞きたいことがあったんだけど」 なんだっけ。家にいるときに思ったんだけど。このコに聞きたい事。このコに・・・ 「そうだ!名前!キミ、なんて名前なの!?」 考えてみればもうかれこれ1ヶ月近くこの少女とカミーユは会って話しをしているというのに、お互い自分がなんという名前なのか言っていなかった。 今まで気付かなかったほうが不思議だが、それに気がついたのは3日前。 「なまえ?」 「そう!キミの名前!」 少し黙り込んで、少女は喋り出した。 「いちばん最初の街…私が生まれた所では、ネメシスって呼ばれてたわ。“因果応報”ですって、ヒドイなまえよね。 その次、サフランではプリムローズ。ランタナの街ではセレナ。この前までは、アナスタシアって呼ばれてたわ。 だから、今の私のなまえはアナスタシアかしら」 次々に名前を言って行く少女を、カミーユは呆気に取られて眺めた。 「今はって…キミの、キミの本当の名前はなんなんだ?」 「さあ?ないんじゃない?」 キャハハと笑って少女はあっさり言い放った。 「ママがなにか名前つけてたかもしれないけど、ママ私が生まれてすぐ死んだらしいし。パパは生きてるか死んでるか知らない。だから私に名前はないの」 カミーユは言葉を失った。この無邪気に笑う少女を見つめる事しかできなかった。 「…あ…」 のどから言葉を搾り出す。 「な、名前がなくて…困らないの?」 違う。もっと他に言いいたいことがあるのに。 「別に?」 少女は首を傾げて微笑んだ。それから不思議そうに青い眼をくりっとさせた。 「名前がなくてもいいでしょ?どんな名前でも私は私なんだから」 「それは…そうだけど……でも…」 「それより早く帰らないでいいの?ママに怒られるんでしょ?」 「あ!」 カミーユは「またね!」と手を振り、走り出した。思い出した様に付け加える。 「ぼくの名前はカミーユ!カミーユっていうんだ!」 もう夕日も沈み、あたりは闇に包まれている。風で木々がゆれる音や、獣たちの声が不気味に響いている。 そのなかで、少女は身動き一つせずに数時間前までと同じ場所に同じ格好で座っていた。 人を襲うという獣が出ると聞いていたが、少しも恐くない。獣なんかより人間のほうがずっと恐い。 それに、恐怖というものは自分の心の中から来るものであり、だから自分が恐いという思いを抱かなければ、例え真夜中の墓場にひとりでいても恐くはない。 少女はカミーユという少年の言葉をずっと考えていた。繰り返し繰り返し。 「……自分が…嫌い…?」 わからない。 少女は首を横に振った。どうして自分のことを嫌いになれるのだろう。 だって…自分で自分を嫌いになったら、もう誰も私を愛してくれるひとがいなくなっちゃうもの。 「…帰ろっと」 少女は柵の上からぴょんっと飛びおり、カミーユが来た方向と反対の道を走っていった。 ――帰る場所もないのに。 「…ただ、自分の敵を愛しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは素晴らしく、あなたがたはいと高き方の子どもになれます。なぜならいと高き方は恩知らずの悪人にもあわれみ深いからです。あなたがたの……」 何度目かのあくびをカミーユはかみ殺した。今日は聖書の言葉を延々と繰り返すだけで、面白い話は聞かせてもらえそうにもない。 あのコに新しい話教えてあげたかったのに。隣に座っているジョルジオとユーシスが小さな声で何か楽しそうに話している。 …ジョルジオたちになら相談してもいいかもしれない。 カミーユはそう思った。 『ネメシス』という少女のことを、誰かに聞いてみようと思っていた。父や母なら何か知っているかもと思いはしたが、オトナに聞いてはいけない気がしたのでやめた。こういうとき、オトナは一番頼りにならない。 だけどいつも一緒に遊んでいるジョルジオとユーシスになら。 カミーユは「ジョルジオ」とささやいた。 「ん?何?」 「あのさ、ネメシスってオンナノコの事知ってる?」 ジョルジオの顔が曇った。何か言いかけて、やめた。 「なぁに?ネメシスって」 ユーシスが長いまつげをぱちぱちさせて二人を見ている。 「ジョルジオ?どうしたの?」 「…コレが終わってから。教会の裏で」 「…で、『ネメシス』がどうしたの?なんなの?」 カミーユはいきなりジョルジオに質問した。教会の裏にカミーユ、ジョルジオ、ユーシスと集まっていた。 ユーシスにも「ネメシスって?何?何?」と詰め寄られ、ジョルジオはストップ、というように胸の前に手をかざした。 「いや〜……おれもよくは知らないんだけど…前、オヤジと母さんが話しててソレちらっと聞いたんだけど…」 髪をかきあげながらジョルジオはぽつりと言った。 「ネメシスってさ……悪魔のコだよ」 「ウソ言うな!!!」 カミーユはジョルジオにつかみかかった。 普段怒った顔すら見せたことのないカミーユがこんなことをするのは初めてだ。 「そんなわけないだろ!!悪魔なもんか!!」 「ちょ…ッ、はなせよカミーユ!ウソじゃないって!!」 「カミーユくん!やめて!」 ユーシスが間にはいり、カミーユは引き剥がされた。 「おれ聞いたもん!山の向こうの…カンナの町でさ!何人も人を殺した女がつかまって処刑されたんだ!その女の子どもだよ、ネメシスって!あんな悪い星の元に生まれたのはきっと生まれ変わる前に罪を重ねた結果だろう、因果応報だって! ネメシスって悪魔の実の能力者で、その力で人を殺してるって!言ってたもん!おれ聞いたんだよ!!」 呼吸を荒くしてジョルジオは一気に話した。 グランドラインにある島にしては非常に珍しいことであったが、この島では、悪魔の実は忌むべきものとされている。神々と人間の敵、悪魔の力を得るからだ。 「…ウソだよ…」 小さな声でカミーユは言った。ユーシスが顔を覗きこんだ。 「ネメシス、って名前は知らなかったけど、わたしもそのオンナノコの話聞いたことあるよ。悪魔の力を持つ子ども、って」 再び、ウソだ、と言おうとしたとき、ターン…!と遠いところから銃声が聞こえてきた。 いつも少女と会っている、あの山からだった。 「銃だわ」 「あの、ほら、獣がうたれたんじゃないかな。神父さまが言ってた…あ、カミーユ!?」 カミーユは走り出していた。 いやな感じが胸の中をぐるぐる回っていた。 「あら…こんにちは」 血のニオイが漂うなかで、無邪気に笑う少女がいた。いつもの笑顔でカミーユを迎えてくれた。 その血は、ジョルジオの言った獣のものではなかった。数人の大人が、少女のまわりに倒れていた。倒れて――いや、『埋められて』いた。 来なければ良かったのかもしれない。なんともヒドイ『現実』を、カミーユは自分の目で見てしまったのだから。 悪魔の力……人を殺してる…ウソだ…ウソだ…!!このコは…違う……悪魔なんかじゃ……… この世界には、知らないでいればどんなに幸せだったか、ということが多すぎる。 「ころ…した、の…?」 ひどくかすれた声でカミーユはきいた。 「え?…ああ、このひとたち?」 少女は自分のまわりを見まわした。 「だって銃でうってきたんだもの。私、なにもしてないのに。殺さなきゃ私が死んでたわ。私死にたくないから」 いつもと変わらない笑顔。 なのに、カミーユはその笑顔に恐怖した。全身が震えた。 「悪魔の…力……なの?」 「悪魔?これのこと?」 キャハハ、と笑いながら、少女はその足で地面を蹴った。小さな体がふわりと宙に浮く。そして、下降し始めたかと思うと、ずしん、と大きな衝撃が地面にあった。着地した少女の足元は、大きくひび割れていた。 小さな少女がやってみせたこと。それは充分すぎる恐怖をカミーユに与えた。足がすくむ。 「あなたも私を殺しにきたの?」 「ち、ちが…!!」 「死ね」 少女の口から飛び出した言葉に、カミーユはびくっと体をふるわせた。 「消えてしまえ。誰もお前の存在を喜びはしない。お前なんか殺してやる。殺す殺す殺す消えろ消えろ消えろ死ね死ね死んじゃえ…」 カミーユの目を見つめながら、少女は言った。普段と変わらない口調で。 「こんなこと、あなたは言われたこともないでしょ?」 かすかにカミーユは頷いた。 「私はもう言われなれたわ」 「言われ…なれた…?」 カミーユは、少女の言葉を反芻した。 こんなヒドイ言葉を言われなれた。それはつまり、どういうことなんだ? 「みんなおんなじこというんだもん。でも、あなたはそんなこと言わなかったよね?初めてよ」 少女は口に指をあてて言った。 「あなたいつも私にお話してくれたよね。楽しかった。一番覚えてるのが、ノアの箱舟の話。それ聞いて私も思ったの。私も箱舟に乗ってどこかへ行きたいなって」 話しつづける少女をカミーユは黙って見つめていた。何か言いたいのに。言葉が出ない。 「この世界に生まれてきて、あなただけは私に優しくしてくれたわ。穢れた存在の私に。だけどもう……あなたも私がこわいのよね?…バイバイ」 一番聞きたくなかった言葉。お別れの言葉。 「違うんだ…ぼく…ぼくは……」 きみのことが好きなんだ。 言えない。言葉が出てこない。恐くない。頭ではそう思っているのに。 「私ね、探しにいくの。私みたいなものでも、存在することが許される場所を」 少女は笑った。本当に楽しそうに。 それがカミーユの見た、最後の笑顔。 ふわりと緩やかな風が吹き、少女は歩き始めた。 愛してくれて、ありがとう。 主がオリーブ山に行かれた時のこと。 律法学者とバリサイ人が、主の前に一人の女性を連れて来た。姦淫の罪で捕らえたと。石うちの刑にしたいがあなたはどう思われますかと。彼らは主を試したんだそうだ。主を告発する為に。 主は言われた。 「あなたがたの中で罪を犯した事の無いものだけが、彼女に石をお投げなさい」 …彼女に石を投げられたものはいなかった。 罪の無い人間なんて、いないんだ。 ぼくらは誰も、あのコを責める事なんてできはしなかったんだ。 人を憎まずに生きられたら、どんなにいいだろう。だけど、人は憎んでしまう。同じ人間を、憎んでしまう。あんなに小さな子どもさえも、殺そうとしてしまう。それは狂気にも似た、怯えゆえ。 あれからどのくらい経っただろう。ぼくは待つ。あのコがまた帰ってくる日をずっと待つ。あのコはずっとあそこにいて、ぼくを迎えてくれたんだから。 今までだってそうだったんだから、これからもきっとそうだ。 きっと、きっと… 私は荒野を歩いていた。今夜の満月はとても綺麗。 ひとを殺すには、いい夜だわ。お気に入りの傘をくるくる回す。 子どもの頃の私は、世界のことを何も知らなかった。 私みたいな存在は、世界に私ひとりしかいないと思っていたりした。 だけどそれは、大きな間違い。 ここは…今私がいる『ここ』は、みんなそう。みんな同じ。同じモノを求めて集まった。『ここ』は大きなひとつの箱舟。 『ここ』での名前は、気に入っている。綺麗な名前。 名前があるひとって、面倒くさくないのかしら。 名前がないってことは、誰でもないってこと。 誰でもないから、誰にでもなれる。 「ミス・バレンタイン」 数メートル先にいるパートナーが、私の『名前』を呼んだ。 「待って、Mr.5」 私は足を速めた。彼の側へ行く為に。 この箱舟は、辿りつけれるのかしら? 理想郷に。 |