「サーキース、髪きってあげよっか」

宵のつれづれに、お姫様がそう言った。

副船長はといえば、さてこれから飲みにいくかというところだったので、お姫様の言葉に固まってしまった。
名指しされて、しかもこの場には彼女の他には自分一人しかいないのだから、逃げ様がない。
副船長の部屋に突然やってきた彼女の右手には、ハサミがひとつ。左手にはその他の散髪道具。
どうやら彼女はひとつの答えしか望んでいないらしく、副船長に与えられた選択肢はひとつらしい。
「ね、きってあげる」
「遠慮しときます」
「遠慮なんてしたこともないクセに、ホラきってあげるから」
「いや、マジいいって」
「それにホラ髪こんなに伸びてるじゃない」
「なぁ、おれ飲みに行きてェんだけど」
「ハイ座って」
滅多に見られないお姫様のにっこりとした笑顔に、からだが勝手に言う事を聞いていた。
…アホかおれは…。
自分で自分を罵った。
しかしこうなってはもう逃げられない。
逃がさないとばかりにお姫様は彼の後ろに膝をついて座った。
「コート脱いで。髪つくわよ」
「オイまさかケープも何もなしできんのか!?」
「いいじゃない、後でシャワー浴びれば」
「それにきった髪は誰が掃除すんだよ!?」
「いいじゃない、あたしの部屋じゃないし」
……やっぱり逃げれば良かったと今更ながらに後悔する。 うなだれる副船長のことなどお構いなしで、お姫様は彼の髪にスプレーの水を吹きかけ、さかさかと櫛で梳かした。
「…なぁ何でいきなり散髪なんだよ」
「ヒマだから」
お姫様の行動は唐突でマイペースだ。
副船長は未だに少し慣れていない。
「それにサーキース、最近結構髪伸びてきたし」
ついでのように付け足した。
「ダサくなったらゴメンね?」
「ゴメンで済むかよ」
「済ます」
彼女の科白は妙に予言性を帯びている。本当に失敗しそうで恐い。
何しろ彼女は決して手先が器用なほうではなく、はっきり言ってしまえば天才的に不器用だ。
実際、料理などは船で一番下手だ。林檎の皮むきなどやらせようものなら林檎はぼろぼろの欠片となって返ってくる。
刃物の扱いには慣れている副船長が、たまにナイフの扱い方を教えてやっているが、一向に上達しない。
そんな彼女に髪をきってもらうなどダサイ髪型にしてくれと頼んでいるようなものだ。
「…おいリリー」
「なに?」
「マジで失敗すんなよ」
「大丈夫よ、あたしだって髪のダサイ男の横にいたくないし」
妙に説得力のある言葉だ。
「じゃあきるわよ」
「あーどーぞどーぞ」
ジャキ。
ゆっくりとした音がして、それからパサッと髪が床に落ちる音がした。

ジョキ。
ジャキ。
それからパサパサ。
暫くそんな音だけが響いた。

すぐ近くで不規則なハサミの音がする。
なんだか楽しそうだ。
しかし一緒にその音を楽しむ余裕は、彼に無い。
自分の背後でのことなので、彼女がちゃんと上手く髪をきってくれているのかが判らない。
非常に不安だ。
ジャキン。
「あ」
「!!???なんだよ!??」
「ううん何でもないよ」
ジャキジャキジャキ。
明らかに失敗して、それをごまかす為に他の所もきりましたという感じの音だ。
思いっきり彼女のほうを振り返りたかったが、いきなりそんなことをすると余計に失敗されそうだ。
副船長は我慢強い性格ではない。我慢強い性格ではないが、おとなしく我慢した。
生まれて初めて我慢したような気がする。
ジャキジャキ。
「ねぇどんな感じがいい?」
…今更聞くなという感じだが。
しかし彼女のその質問はあくまで一応のものであって、彼の意見を取り入れる気などまるでないということを、彼はよく知っている。
「テキトー」
「こんな感じ?」
「そんな感じ」
彼女が手にしてチラッと見せてくれた自分の髪は、思ったより酷い事にはなっていなかった。
思わず安堵の溜め息が漏れる。
「何その溜め息。あたしのこと全然信用してなかったでしょ」
「おまけに現在進行形」
「ご期待に添えてあげよっか?」
「スンマセン何でもないです」

それからまたジャキジャキパサパサ。

「ウン、できた」
ジャキジャキパサパサが暫く続いた後、お姫様が嬉しそうに言った。
「そりゃどーも」
「さっぱりした?」
「しねぇよ」
ばっさり切ったわけではないのだからすっきりも何もない。
お姫様は気にした様子もなく、そ、とだけ答え、
「次は前髪ね」
そう言いながら彼女は膝をついたまま、とことこと副船長の前に周ってきた。
「前髪もきんのかぁ?」
げっそりとした声でぼやく。
当然お姫様は取り合わない。
「一応言っとくけど、ダサくなったらごめんね?」
「ダサくなったらお仕置き」
「だから大丈夫だって」
アハハハと笑いながら、お姫様は副船長の長い前髪を優しく手に取った。
「じゃあ、きりまーす」
「…どーぞ」

ジャキ。
すぐ目の前で自分の金色の髪がはらりと落ちた。
髪とハサミの向こうにはお姫様の顔がある。
お姫様の顔は、文字通り目と鼻の先だ。
朝だろうが昼だろうが夜だろうが常に外さない、お姫様お気に入りのサングラスも今は掛けていない。
綺麗で大きな瞳がすぐ近くにある。

「ねぇ、目つぶったら?目に髪入るわよ」
「目ェつぶったら勿体無い」
「何ソレ」


ハサミを持ったお姫様の手を、大きな手がそっと止める。

「ねぇ」

「ハイなんでしょう」

「ハサミ動かせないんですけど」

「ハサミはもう要らねェだろ」

言葉に合わせて、お姫様の手からゆっくりとハサミを取った。
もう一つの手でお姫様の頬にそっと触れる。

「ハサミ返してくださーい」

「返しません」

「どうしても?」

「どうしても」

「しょーがないヤツ」

「副船長命令」

「もう」


そう言ってお姫様は目を閉じた。










*えり*
サーキースの髪切りたかったんで切りました。
というか何だこのこっぱずかしい髪は…
サーキースの髪色は個人的な希望なので流してやって下さい。

小説TOP