彼方で1本の光の柱が立つのが見えた。
それを認識して暫くの間を置いて、ドォ…ン…と轟音が耳に届く。
また誰か愚者が裁かれたのだろう。遥か遠くを見渡せるほどに高く高く育った大木の枝から枝に飛び移っていたサトリは、ぴたりと足を止めた。
ザワザワと風が吹いて、葉が舞う。”裁き”の光をちらりと視界の隅に捉え、幹の上から地面を見下ろした。
樹木の太い根や、雑草が生い茂っていて視界が悪い。獲物はどこだ?―――いた。
今自分が立っている位置からその姿を眼で確認することはできなかったが、30メートル先。目標としている二人の男がいる。――それと一緒に、大きな鳥をつれた一人の男も。
心の音は耳では聞けない。外形を見るのではなく、その本質の波動を観ずるのである。今、サトリは音を観ている。
鳥をつれた男が手にした槍を振りかざし、逃げ惑う男達の背に繰り出そうとしている姿がサトリの脳裏に浮かんだ。
させるものか。あいつらはおれのエモノだ。
サトリはタンッと枝から跳びあがり、そのまま身を空中に投げ出して、緩やかに落下していった。そして、大きく息を吸いこみ、声を限りに叫んだ。
「おい、シュラ!今の光を見たか !?」
その声にシュラは、殆ど反射的に槍をかざしていた手を止め、声がした方――背後を振り返った。
その一瞬の間に、今しも彼にとどめをさされようとしていた満身創痍の男達は先を争って転がる様に急斜面を駆け下りて行き、姿が見えなくなった。…どんなに逃げ様と、行きつく所はひとつなのだが。
「ほっほう!逃げられたな!」 ふわりと弾みをつけてサトリは地面に足をつけた。
「さっきのはどこだったかな、エデンアベニューのあたりか?どうやらまたバカモノが出たらしい!」
地面からフザの背に飛び乗ったシュラが、上からサトリをにらみつけながら、
「…貴様、何のつもりだ」 忌々しげに言葉を発した。
「デカい声を出しやがって、首を取り損ねちまった」
「ああ、悪い悪い」
少しも悪く思っている口調ではなく、涼しい顔でサトリは返した。「どの程度の声を出したらさっきの奴らが逃げ出せるかと実験したくなってな。まあお前が反応してくれたおかげで結果は大成功だったが」
自分をにらみつけるシュラの視線が益々険しいものになったのも気にせず、サトリは足に力をこめて思いきり跳びあがり、再び大木の上にうつった。
「さあ、ハンティング再開だ!早くしねえとオームやゲダツに横取りされるぞ!」
それぞれの持ち場に帰る途中、シュラは酷く不機嫌にサトリに文句を言っていた。
「貴様の所為だぞ、奴らを取り逃がしてなけりゃァ…」
「首ふたつ増えていたところで貴様の負けに変わりはない」 巨体に似合わない軽やかなスピードで歩くホーリーの背に乗ったオームが言った。フン、と笑う。
「悪いな、お前ら。今日はおれの一人勝ちでよ」
シュラは舌打ちして黙り込んだ。かわって、今日一番獲物の数が少なかったゲダツが口を開いた。
「フン…今日は負けを取ったが、次ンンンン…」
「下唇噛んでるぞ」
びゅうびゅうと強い風が吹いて、木々がゆれる。
風の音や木々の葉がこすれ合う音に混じって、ギャアギャアという甲高い鳥の声も聞こえてくる。
生い茂った樹木の所為でこの森は朝でも薄暗く、それが余計に不気味なものとなっていた。
「クカカカカカ!」
鳥の声に呼応するかのように、フザが高く鳴いた。
「オイ、煩いぜ。全くそのトリ公は焼き鳥にでもした方がよっぽど有益なんじゃねェか」
「黙れ、フザは優秀だ。貴様の駄犬こそ何の役にも立っちゃいねェだろう。食欲を満たす事と生殖行為以外何も考えちゃいない、だから畜生なんだ」
「何だと…」
「オイオイやめろやめろお前達」 サトリが明るい声音で言った。
「別にお前達が争おうとどうでもいいがな、早いとこ持ち場に帰らねえと神・エネルのお怒りを買うぞ!」
神・エネルの名を出され、オームとシュラは苦々しく相手をにらみつけ、舌打ちした。主人の気持ちに同調したかのように、ホーリーが低く唸り声を出してシュラに目を向けた。
「何だ、やる気か畜生ごときが」 シュラは槍を握る手に力を込めた。
「ホーリー、相手にするな」
「不機嫌だな」 ゲダツが進路方向を見つめたまま呟く様に言った。
「何だシュラ、まださっきのことに腹を立てているのか?」
サトリが続けて言った。彼ら4人が同じ場にいて穏やかな雰囲気になったことなど一度たりとてなかったが、それにしても今日のシュラは不機嫌だ。
シュラは何か考えこむようにして黙り込んだ後、首を振った。
「…まァ、貴様に邪魔をされた事はもういい。おれが腹を立てているのは今日の生贄共だ」
シュラの口調が熱を帯びたものになった。
泣き喚いて自分から逃げ惑っていた者達の姿が、ありありと目に甦る。無様で、惨めだった。いつもいつも目にしてきた姿だ。そして今日の獲物は、その人生すらが軽蔑すべきものであった。
「奴ら、呆れ返るほどの無明さだ。少しの傷で耳障りに騒ぐ…今まで痛みというものを知らなかったんだろうよ」
シュラは、ここには…もうこの世にもいない彼らの事を、心底見下した目をした。
「莫迦が」 シュラは吐き捨てる様にして言った。 「傷つかずに生きていける”生”などあるワケがねェ…」
「無知こそ全ての迷いの根本的原因さ!」
サトリが高らかに言う。「無知な奴は、だからいつまでたっても迷いの世界から抜け出す事が出来ずにいる。ほっほほう!可哀想なことだ!」
「天道も未だ迷いの世界だが…ハッ、落ちた奴らに憐憫の情などくれてやる必要はない。自業自得、悪因悪果だ」 オームがどこかしら愉快そうにクックッと喉を鳴らした。
実際、彼らにとってはその存在について考えることすらはばかられる程、気にかけるに値しない生き物達だった。
生に対する執着心だけは見上げたもので、けれど哀れなほどに弱かった。よく今まで生きてこられたものだと思う。虫けらの様に浅ましい、その生に意味はあったのか。
シュラは軽く目を閉じ、次に目を開いた時には、もうその存在を完全に忘れ去った。
――――――ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ……
ざわざわざわ…。
森が騒ぐ。サトリはふと顔を上げた。
…ああ、いつもの声だ。
『ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ、ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ・・・』
ゆっくりとした美しいリズムで、透き通った鈴の様に響く声。いつも、聞こえている声だ。――いや、声なのか判らない。声なのか、音なのか、その両方のようにも聞こえる不思議な言葉。
「おい、お前達。何か声が聞こえるか?」
恐らく、いや確実に、”これ”は自分だけにしか聞こえていない。判っていながら、サトリは他の3人にそう問い掛けてみた。
いぶかしげな顔をして、立ち止まった。ゲダツが辺りを見まわし、空を見上げて、サトリを見やった。
「…声だと?何のことだ?」
「聞こえないか」 サトリはことさら気にかけていない様子で答えた。
「いや、こっちの話だ。何でもない」
ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ…ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ………
「見てごらん」
侍女長を探す為に神殿の外に出、庭園を歩いていると、神・エネルがたたずんでいた。
何をなさっているのですか、と侍女が尋ねると、神・エネルは手にしていた二つの花を侍女に手渡した。
雲よりも白い花と、血よりも紅い花だった。
「まあ…綺麗な花ですね」 侍女は大切そうにそっと花を顔に近づけた。
「何の花ですか?」
「――ただの花さ、…天上の花」
神・エネルは花を持った侍女を面白そうに見つめた。
「あの…どうしたんでしょう、わたくし…。なんだか優しい気持ちになるというか…胸が踊るような感じになるというか…不思議な気分です。不思議な花」
侍女は片方の手を胸に当てた。この花は何だろう。この花々を目にするだけで、気分が昂揚としてくるのだ。
神・エネルにソッと目をやっても、ただ笑っているだけで何も教えてくれそうにない。
「…こんな考え方がある」
ふいに、神・エネルが言った。
「物事をあるがままに見れば、全ての煩悩…苦しみは無くなるんだそうだ。他人を愛するから別れる事が辛いのであり、他人を憎むからその者といることが苦痛なのであり、欲するからこそ得られないことが苦しみとなる。だが、執着を捨て去ればその全ての苦しみは消滅する。愛憎等の感情を抱かず、他人をただ一個としての存在と見る…花を見ても、美しいだとか綺麗だとか思わない、ただ『花』として受け入れよと…」
神・エネルは顔を近づけ、花を持った侍女の手を取った。
「…だがまあそれはなかなか難しい注文だ」 神・エネルはフッと笑った。
「何より楽しくない」
神・エネルの指が花に触れたかと思うと、ボッと音を立てて花が焼け消えた。灰も残っていない。
あまりに突然の事で、侍女は驚いて目をぱちぱちと瞬きさせた。花の感触がまだ手に残っている。その美しい姿も、はっきりと目に焼きついたままだ。
侍女から手を離し、神・エネルは大きく伸びをした。
「もうじきだ」
「あ、あの、エネル様…?」
「もうじきだぞ」 神・エネルは繰り返した。
「あと少しで全てにカタがつく。シャングリラの遺産を手に入れようじゃないか」
侍女の存在など最初から無かったかの様に、神・エネルの言葉は独白のように聞こえた。
「多少なりとも羊達の犠牲がいるかもしれんが…ヤハハ、”神”の為にその命を捧げてもらおう」
奇妙に抑揚の無い笑い声で、侍女は背中に冷たいものが走るのを感じた。
この無慈悲な神は、目的の為とはいえ自分が長きに渡って治めてきた慈悲の民が多大に…もしくは全てがその命を失う事すらも、何も厭いはしないのだ。
そしてそれは、この国の住人達だけでなく、彼に仕える自分達の命も同じなのだろう。
―――だから、彼はひとりなのだ。
神とは全能で…全能であるが故に孤独な存在なのである。
しかしまた、孤独を愛する生き物は、獣の他には神しかいないのであった。
――――森が騒いでいる。試練を受けるべき罪人達が領域に入ってきたのだ。
今回の罪人達は、第2級犯罪者だという。その報告を聞いた時、サトリは少々感心してしまった。そんな大それたことをする者達には、ここ暫くお目にかかった事が無かった。
今回ばかりでなく裁きを受ける者達は皆一様に生贄とされた者を奪い返しに来ようとするが、しかしそもそも生贄を取り返そうとする事自体愚かだと言えた。
仲間が生贄とされることになったのは、裁きを受ける者の内の誰か、または全員が神を汚す事をしたからで、その罪は誰かが犠牲になることによってあがなわれるべきなのである。
そして、供犠とは神と民との関係を成り立たせる必要儀礼なのだ。
…ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ…ヤントラ、タントラ、マントラ、マンダラ……
相変わらずあの声は聞こえている。この森を掌るようになってからずっとだ。大地の声なのだろうか?
その声の主も、その言葉が意味することも、サトリは理解できずにいる。
ただ、何となくそれらの言葉は神聖で、全世界を構成しているもののように感じる。多分、それでいいのだ。
ここは、幸福と誇りに満ちたところ。
下の五つの世界とも、上の四つの世界とも、全く違った世界。ここもまだ、迷いの世界のうちだと言う。暫くはそれでもいい、安らかなる心地がするから。
「―――ようこそ禁断の聖地アッパーヤードへ…」
サトリは天高く片手を掲げ、罪人達に告げた。
「ここは迷いの森、生存率10%!――”玉の試練”!」
☆なじ☆
何か今回仏教やら何やらのアレを色々つめこんじゃいましたのでいつも以上に意味不明な暗号文ばっかりに。
今回はあまりにも暗号文が多いのでちょこっと解説(?)を。ところで解説って漢字解脱に似ててトキメキますよNE。
四華…摩訶曼珠沙華、摩訶曼陀羅華、曼珠沙華、曼陀羅華。
心の音は耳では聞けないうんたらかんたら…観音様のこと。
畜生云々…生前食べる事と生殖行為以外の何もなさなかったものが畜生道に落ちる。
無知こそ全てのどうのこうの…何でしたっけこれ…十悪のひとつか何かだったような…いや何かちゃうな…
ヤントラ…ブラフマン(梵天)の力をよび起こす神聖な図形。
マントラ…神聖な音素(=オーム)から成る真言。
マンダラ…宇宙を開示し、印契によって宇宙との合体を可能にする。曼陀羅。
タントラ…ヤントラ・マントラ・マンダラを象徴として含む世界最古の密教。
↑響きの語路が良かったというだけなので話中のアレに深い意味はないです(……)
「こんな考え方がある」とかなんとか…仏教の…何でしたっけ…とにかく仏教の思想。
シャングリラ…「シャンドラ」っつーのは「シャンバラ」のことかなーと思うんスが…シャングリラ=シャンバラです。
孤独を愛する生き物はなんちゃらかんちゃら…「孤独を愛するのは神と獣だけだ」どこかの誰かのお言葉。
幸福と誇りに満ちたところ…サトリの科白より★六道のひとつ天道は幸福と誇りに満ちた所だそうなので
下の五つの世界…地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間。これに天道をあわせて六道。
上の四つの世界…えーと…確か…声聞・縁覚・菩薩・仏。これに六道をあわせて十界。
解説というか寧ろ私が忘れてしまうので自分メモ。
あと中間で登場の神、誰がこんな言葉遣いするねんという科白をブチかましちまいましたがサラリと見守ってやって下さい。
03.2.1
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